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PILOT:ピロート

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KW PILOT:ピロート

ドイツのKW (kamera wark)社の折畳み式二眼レフ、PILOT と書いて 何故かパイロットと読まずにピロートと呼ばれています。 KW社は独自の切り口から組み上げたユニークな機械が多いような気がします。

カメラキッズでもピロートの6X6判一眼レフ、極薄のエツィ、プラクチナ 35mm一眼などを度々ご紹介しておりますので、ご記憶の方もいらっしゃると思います。 今回 KWによる折畳み式二眼レフ PILOT を入手、 過去にも何度か機会はあったのですが、どちらかというとコテコテの個体で修理のオジさんも首を縦に振らない・・・そんな状態のなか、今回は「動きそうやなぁ・・」の反応で期待しております。

いつもの camerapedia によると1931年から1937年にかけて製造されたようで、折畳み式二眼レフはウェルタのパーフェクタなどもあり それほど珍しいわけでは無いのですが、当機は127ロールフィルム規格で3×4 cm のフォーマットになって、ピントフードのウェストレベルファインダーと折畳み式アルバタアイレベルファインダーを併設し、コンパクトなのが特長です。

ただいま整備を検討中、動けばいいのですが・・・
△□▼#○X▽◎?

2015年 8月27日 整備完了 カメラキッズホームページにて販売中 XXXXX円

2015年 8月31日 売り切れました いつもありがとうございます。

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ピジョン

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ピジョン

1950年中頃、終戦後の復興から未来が見えかけた頃、写真機がステータスとしてカメラブームを起こすことになります、 よく言われる四畳半メーカーが乱立し、作れば作っただけ売れたんょ・・・と聞かされてきた記憶がある。

さて、信濃光機製とされるピジョン35、手元に系統だてた資料が無く、あてにしている camerapedia にもそれらしい記述も無く、Endo Syasin Yohin (エンドー シャシン ヨーヒン?)が代理店となって販売したカメラのブランドがPigeon:ピジョンで、折畳みカメラや二眼レフにもピジョンブランドがあり、エンドー社が扱った カメラは八州精機、信濃光機そして大城光学によりOEM供給された・・・などとも言われるのですが、時代によって流動的だったようで、年長のコレクターに尋ねど興味を示さず「コレです・・」と特定出来ておりません。 

当ピジョン は信濃光機製の深度スケール付きフォーカシングハンドルを備えた、ボディシャッター式のピジョン35だと思うのですが、散見するピジョン35とは軍艦部の デザインが異なり、違ったシルエットとなっています。違いは 「ただ」それだけの事なのですが、デザイン的にチェコのフレクサレット風の深度スケール付きのフォーカスレバーがすごくメカっぽく・・・この手作り感のメカっぽさがクラシックカメラならではのいい雰囲気なのです。

その後、レバー巻上げのIII 型となりモダンで、手作り感の無いデザインの量産型となり消えていったようです。 スペック的にはB.1.2.5.10.25.50.100.200の TSKシャッター、レンズはあのSHINANO S-COHOTOの50mm 3.5 を載せ、目測式ピント合わせでありながら、高級っぽくまとめています。

機構的には当時なりのノブ巻上げ、非連動のシャッターセットに目測式距離合わせといった、折畳みカメラを固定式に直しただけではあるのですが、この未完成の妙と言うのが・・・楽しめるのです。

2015年 7月 7日 ただいま機能・動作確認中もうしばらくお待ち下さい。
2015年 7月10日 機能・動作確認を済ませました、カメラキッズホムページにて販売中 XXXXX円

2016年 8月 7日 売り切れました ありがとうございます。

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ミランダ D2 + Kソリゴール 5cm1.9

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ミランダ  D2 + K(kowa) ソリゴール 5cm1.9

ミランダの前身であるオリオン精機製は、国産初の35mm判ペンタプリズム付きフォーカルプレーンシャッター一眼レフのフェニックスを設計からわずか半年 で開発しまとめあげた事で有名ですね。シャッター部品や裏蓋を他社から供給してもらいコンパクトにまとめる才能と言うか技術力があったのでしょう、幻のズ ノー一眼のボディに関わったとも言われますから、そういう時期もあったのかもしれません。

フェニックスという名前がドイツの商標登録に触れミランダに改名、その1号機といわれるミランダTが宗谷丸の南極観測隊員によって使用され故障することなく任務を果たしています。 あの宗谷丸は中古船を改造小さ な砕氷船で、南極までたどり着くだけで奇跡といわれ、探検隊の南極活動の記録目的のため、黎明期の一眼レフへのミランダの意気込みは凄かったのでしょう、油断していた自分は胸と目頭が熱くなった。

ともかく、その後ミランダは1/1000やクイックリターン機構を組み込み、A.B.C.D・・・と矢継ぎ早に展開、当機はそのD型の輸出専用機とされて います、これまでの一連のボディが12角形だったのが流線型に変わり、ファインダーの違いによってミランダD2/DRと呼ばれています・・・1960年代 当初の事。

表面のメッキ仕上げもテカテカ感から「ハーッ」と息を吹きかけたような艶消しになり、ミランダの中でキレイでクラシックな姿をしていると、自分個人として 思っているのです。 この時期のミランダは絞り連動は時期尚早と判断されたのでしょう、機構的にはクイックリターンミラーを備えたレンジファインダー機 で、シャッター音もシンプルなところが、クラシックファンにはエクボに見えるようです。


2015年 7月 4日 カメラキッズホームページにて販売中 XXXXX円
2015年 7月17日 売り切れました いつもありがとうございます。

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イコフレックス II a

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ZEISS IKON イコフレックス II a 型

コンタックスが明らかにライカの対抗機として企画されたものであるのと同様、1935年のイコフレックスも1929年に 発売されて大成功を収めたローライフレックスの後を追ったものである。 初めはローライの特許に抵触するのを避けて独自の設計を採っていたが、ローライの 特許が切れるに従ってローライに近づいていったことは否定できない。【I.C.S.PRICE GUIDE 2000 ツァイス イコン特集より抜粋】

戦前戦後を通じて12モデルが製造され、当 II a 型は基本的に戦後の II 型と同じだが、ローライ風にビューレンズの中ほどから流線型のカバー付きアジャストダイヤルを配置、絞り値とシャッター速度が一つの窓にまとめられてビューレンズ上部に移され、 ボディ右側のノブによるフィルム巻上げ、ワンタッチ開閉式ピントフード、透視ファインダーと機能的にはローライに近づいていったのです。

二眼レフに関して、面としての完成度を持つローライに対抗するには、当初 ツァイス・イコンは横送りフィルム巻上げなど、パテントを避け独自の切り口からデザイン的なまとめ方など、点としての長所をセールスポイントとして市場にするしかなかったのでしょう。

二眼レフとして落ち着いた円熟スペックとされる II a 型・・・当機の状態として年代相応の使いなずみ、持ち回りによるスレは否めませんが、特に気になるアタリ・キズは無いように思いますが、年代なりのネバリ、グリスの乾きも気になります。

念のため、シャッター整備を検討中。

2015年 7月 2日 ただいま整備中 完成後カメラキッズホームページにて販売予定。

2015年 7月 3日 整備完了 ただいまカメラキッズホームページにて販売中 XXXXX円
2015年 7月 5日 売り切れました いつもありがとうございます。

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