大成光機 ウェルミーワイド

      
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大成光機 ウェルミーワイド

さて、今回ご紹介のカメラは廉価版の蛇腹カメラで有名な 大成光機(大由光学と成増光機が1950年代に合併した)が1958年に発売した35mm規格のWelmy Wideです。


ボディーのほとんどを金属部品で仕上げており、個人的にもデザイン性に優れた一台ではないかと思っております。カメラ正面から見て取れるエプロン部分の独特の形状が 眼をひくところです。戦後間もない頃で、米国から30万人の進駐軍人さんの娯楽目的と 当時の日本製カメラ同様に輸出されたようで、日本国内で中古が市場に出ることが少ないカメラではあるのです。

 

とはいえ希少価値が高いカメラかというとそのようではなく、ただ 安かったため、雑に扱われて壊れたものや、失われたものも多いのではと思います。

1950年代にオリンパスワイドをさきがけとして、国産カメラメーカーよりいくつかのワイド専用機カメラが登場しました。その中の一つがこのWelmy Wideでした。


レンズはTaikor35mm F3.5、直径が2センチ強の極薄の強い曲率を持った凸レンズをフロントレンズに採用しています、描写がすこぶるシャープだとはいえないのですが、当時は標準レンズを搭載するカメラがほとんどの中、広く撮影できるワイド専用機は ブームもあって重宝された事でしょう。

 

機能はいたってシンプルでシャッター速度はスローなしのB及び1/25~1/200の4速です。距離計なしの目測カメラですので、被写界深度を利用したスナップ向けの機種と考えられ、距離表示に∞を黄色12ft(4.7m)の部分を赤に色分けして素早い距離環操作を狙っています。


ちなみにシャッター速度はボディー正面とボディー上部の2箇所で確認可能で、なんでも、小さな金属製の鎖を使用した連動機能が凝っています。当時はカメラメーカーごとの個性やこだわりが出せた時代やったからなぁ、「この時代のカメラはほんまに触っていて楽しめる機械が多いと思うワ・・・」と修理のオジさんのお言葉です。

 

2025年 3月12日  ファインダーが劣化で曇り、代替レンズをハメ込まないと‥との事で ただいま作業中、少しくお時間をいただきます
2025年 3月13日   ファインダーレンズ交換済み、シャッター整備完了  カメラキッズホームぺージにて販売中  13200円

 

 

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アース光学の ベビーローレンって見た事あります?

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アース光学の ベビーローレンって見た事あります?

よほど注意して見ないとベビーパールと間違えます・・・それほどよく似ています。朝日ソノラマの国産カメラ図鑑にも「ベビーパールによく似たカメラ。」と紹介されています

 

上写真の 左側がベビーローレンで 右側がベビーパールなのですが、何処から見てもそっくりで、今年の決算 期末棚卸し中に ベビーパールに混在していたのに気付いたのです、

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アース光学って、戦時中は陸軍用にの光学関係機材....たぶん双眼鏡などを提供されておられ、戦後は日本国内の駐留米軍兵士の娯楽のためにカメラも製造されたらしいのですが、詳しい資料が無く良く分かっておりません。

 

機械の状態として年代には勝てず、レザーは剥がれボディにはサビが出ています、本によると希少度も高いようですから、出来れば動くようになればいいなぁ・・・と整備を考えておりますので、少しくお時間をいただきます。

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ローライフレックス オリジナルを入手しました!

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ローライフレックス オリジナルを入手しました!


ローライフレックス オリジナル・・・・実はこの機械に 自分は辛い悔しい 思い出があるのです、カメラバカと言われて育ってきたもので その方面では自惚れていたのでしょう 40年ほど前ですかねぇ あるお客さんから「フィルムの入れ方が・・」とお預かりしたのがコレ。


6X6フォーマットの二眼レフだから120か620と決めつけ、試すのですが どうひねくっても入らない、その頃 先輩社員だった修理のオジさんを頼って「何とかしてぇナ」と泣きついたのです。 オジさんは カメラと私を眺めながら 何か思い出したように、「フィルムの種類が違うんとちゃうか」との一言。

 

その頃は中古カメラの専門書も少なく中古カメラ店の親爺の知識が全ての時代だったから、大阪のYカメラ商会さんに尋ねると、「専用フィルムがあったんゃ その頃はなぁ」とのありがたいお言葉で、その旨をお客さんにお知らせして、自分の無知と思い込みをお詫びした・・そんな思い出が蘇る機械ではあるのです


さて、手元のカメラの状態はネバリと固着で、ピントフードは立ち上がらず、裏蓋は空かない、シャッターは粘って低速では固着ってな状態で、ただいま整備を検討中・・・90年の機械で あの戦火を くぐり抜けた、貴重な機械だろうとは思いますが、さりとて整備費も気になります・・どうしましょうか?

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フォクトレンダー ビトー BR

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このところ見かけなくなった、ビトーBR

 

フォクトレンダーのビトーと聞くと、小型軽量な折り畳み式から始まり、ソリッド型と言いますか固定鏡胴としたビトーⅡを展開、さらに大口径のウルトロンを搭載したビトマチックⅡやビトーⅢ、などがコレクションとして今でも親しまれています。


ビギナー向けのビトーとして、一連のビトーⅡやⅢあたりが小型で振り回しやすく実用的で人気があります。そのビトーと露出計を備えたビトマチックをつなぐ機種として、ビトーBRがありました。このカメラはB型に距離計を付けたモデルですが、露出計を内蔵させたビトマチックが出てしまったこともあってか、露出計の無いBRは見た目の地味さもあったのでしょう あまり売れなかったのでは・・と思ったりもします、

 

ビトーBRは ビトマチックに比べて、軍艦部がとてもすっきりしていて、見た目の派手さはありませんが、ファインダーのトラブルやショックによる欠け/歪みも起きにくく 一流のツルリとした姿形にフォクトレンダーらしさを感じるのは自分だけではないと思います。

 

また。ウェブ記述にも、フォクトレンダー社の35mm判距離計連動カメラ、ビトー BR は1958年頃の製造です。ビトー・シリーズはフォクトレンダーの中堅機として、セレン露出計内蔵など数多くの姉妹機とバリエーションが作られましたが、距離計連動のみで大型ファインダーとした ビトー BRは 製造台数が少ない稀少モデルです。

 

当機の距離表記はメートルで扱いやすと思います、中堅機の位置付ながら、機構的には上級機のビトマチックと 全く同じなので 各部の仕上げや機構はなかなかしっかりし、ヒンジ式の裏蓋の開閉やポップアップする巻き戻しノブなど、なかなか面白い機構が搭載されています。

 

レンズはテッサータイプで定評あるカラー・スコパー50mm 2.8付になります、状態として トップカバーは無傷に見えます、また底カバー/裏蓋など 目立つ操作スレなど無く全体的に かなり綺麗な外観です。念のためシャッター機構を整備、レンズクリーニングと距離計調節を済ませており、ファインダーの見え味も良好、レンズもクリーニングを済ませクリスタルクリアー・・・格安ではないのですが 美品をお探しの方には魅力的だと思っております

 

ご存知の通りビトー・シリーズはフィルムを装填していないとスプロケットによるシャッターセットが出来ず シャッターが切れませんのでご注意を。フィルムカウンターは減算式です。ただいま仕事仲間と価格相談中・・まとまりましたらホームページにて ご案内予定、宜しくお願い申し上げます。

 

 2月24日  まとまりました‥カメラキッズホームページにて販売中  52400円

 

 

 

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OGIKON-35P って聞いたことある?

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OGIKON-35P って聞いたことある?

ちょっと、、また 初めて聞く オギコンー35P と言う機械を あるご縁で入手出来たのです、修理のオジさんも初めての機械のようで、いろいろ調べてる様子 で 動けばいいのですが・・・どうなりますか、しばらくお時間をいただきます。

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あれこれネットサーフィン中に 上写真の あるコレクターのページにヒットしました、製造元のローレル社は自分の想像以上の OEM や リバッジ商品を展開されていたようです、
少しく整理をさせていただきたく
、お時間をいただきます。

       ネットサーフィン中に下記内容にヒットしました、グーグル翻訳に自分の推察をプラスしてのご案内です、間違いはご容赦。

戦後、日本に駐留していた 45 万人の米兵の消費習慣に応えるために設立されたカメラメーカーがもう 1 つあります。このメーカーに
関する情報はほとんどなく、数多くのカメラ販売業者に納入しており、自社名で販売されている貴重なモデルがいくつかあるという情報
しかありません。正式な社名は Daiou Shashin Kogaku、略してDSKで、ブランド変更されたモデルにもこの名前が付けられていました。

 

印刷されたガイドでは、DSK Royal カメラについてはほとんど触れられていません。また、オンラインでは、Royal Cameraまたは
その両方を含むエントリが多すぎて、Robot Royal など、意味のある情報を探すのは不可能です。またTaron カメラに関するオンライン
情報を探していたときに、Taron Egerton に関する情報が大量に表示されたときのことを思い出します。Royal Camera 社については、
Mike EckmanColin Clarkによる 2 つの記事があり、どちらも情報がないと述べています。

 

知られているモデルは 1950 年から 1957 年の間に登場しましたが、会社の閉鎖日に関する明確な情報はありません。
以下のモデル リストにはさまざまなソースからのデータが散りばめられていますが、重複するモデルがないことを願うばかりです。
初期の Altixに似た最初のモデルを除き、すべてのモデルは類似しており、Contax または Nikon S カメラに非常に似ています。
2 つのモデルは他のメーカーとプラットフォームを共有しているようで、Royal 35 I Picny Bと、Luxall / Torca
Neoca 35モデルとです。

 

Royal Camera は、さまざまなレベルの精巧さを備えたレンジファインダーのみを製造していました。モデルによっては、名前のみで
存在が知られており、裏付けとなる情報や画像が入手できないものもあります。Torca / Luxall モデルは、Brumberger 1651
レビューされています。

 

コレクターにとって、これらのモデルは検討する価値があります。個人的には作り込まれた機械だと思います。
海外のオークションや通販サイトで散見しますが、ほとんどが「まさか」な値段がついています、日本製の希少な
機械と言う付加価値つきで売られているのでしょう。


正直、手ごろな価格で不具合の無い機械だったらおすすめしたいと思っています。

 

 

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ミズホ シックス Super T型 と N型  

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ミズホ シックス Super T型 と N型   

 

ウェブ記事を参考にさせていただきますと・・・ミズホカメラワークスから、ミズホシックスという目測式から単独距離計内蔵まで幾つかの種類の蛇腹式カメラが発売されていました。そのミズホカメラが諸事情でネオカカメラに名前を変えてから発売したのがこのミズホシックススーパーです。

連動距離計を内蔵した66判とセミ判のフォーマット兼用機です。外観的な特徴として 上カバー軍艦部に革が貼ってあり、ネオカブランドとなったのを形にしておきたかったのかな・・・と思ったりもしませんか?。


スーパーにはN型とT
型があります。N型はネオコールレンズ付きで、T型は東京光学のトーコーレンズを搭載しています。
一見レンズ以外は同じに見えますが T型は1~1/300のコパルシャッターに N型は1~1/200のレクタスシャッターにマウントして載せています、その他レンズのデザインや上カバーに違いがありますが、これは この2台での比較なので、全てを調べたわけではないので、軽くお聞きおきただければよろしいかと・・。


それまでのミズホシックスは 前玉回転によるフォーカスでしたが スーパーからはヘリコイド式になり、フォーカシングを楽にしています。

ヘリコイドは60度ほどで無限大から1.2mまでフォーカスできます。66判とセミ判 兼用機のため、巻き上げは背面の赤窓をたよりに巻く事になります。赤窓は二つあり、それぞれにカバーが付いています。 ファインダー下の66判とセミ判との切り換えツマミをスライドさせて視野を変えます。

 

フーォマット切り替えは アパーチュアに他社でも採用されている開き戸式の遮光板があり、フィルムを入れる前にどちらかにセットするもので、当たり前ですが 撮影途中でのフォーマット切り替えはできません。


2025年 1月18日  前から興味があった機械なのですが、N型/T型揃う機会が無く出来なかったのです、
            
今回この2台をまとめてご案内の予定で整備を進めております、もう少しお待ちください。

2025年 1月25日  整備完了、カメラキッズホームページにて販売中  24200円

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6年ぶりの ガイカ ・・・覚えてる ?

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6年ぶりの ガイカ ・・・覚えてる ?



手元の資料雑誌や朝日ソノラマの国産カメラ図鑑にも見当たらず、ググってみても、思う記事にはヒットせず、いつもの camerapedia によると、一部のコレクターが衒って載せたような記述や、日本のカメラ雑誌の広告をソースとして、その方なりの考えを書き込まれておられるので、ご興味をお持ちの方はこちらをチェックいただければと思います

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またウェブ記述などを信用し参考として、自分の経験をおりまぜて推察しますに・・理研(リコー)は1940年に製造し販社から Semi Gaica として発売広告されたのは間違いないようです


また、過日 ブログに載せた
理研(リコー)のSemi Adler を自分は「Adler:アドラーの名前はあの戦争に突入する前の日独伊の協定締結時の空気を読んでアドルフ  ヒトラーから名付けたんだょ・・ 」とご紹介しています、}


では Gaica はというと 「 ガイカ 」 は 凱歌 であるかもしれず、それは「勝利歌」を意味しているとしても、カタカナ では、それと認めにくく あの時代の空気を読んだ、理研は、ドイツと日本の同盟に思いを馳せ よく知られていた ライカ の名前をもじって類似性のある造語を名前としたのでは・・・と思ったりもします、あくまで個人は そぅ思っている と軽くお聞きおきください それだけの事。


何故か資料にはセミ ガイカ II だけが多く紹介され 初期型はプレス発表だけだったのではないかとの意見もあるのですが、 当機は 最初期型の記述通りプロンター社のVARIO エバーセットシャッター載せられています、camerapedia へ書き込まれた方によると世界で2台とか・・・、ソースと根拠が示されているわけではないので、どうなんでしょう・・・まさか。


ツァイスのネッターを模した、戦前の数少ない機械だとすると、状態ともかく 保存カメラとして貴重ですよねぇ…そう思われません?

2024年 12月 7日 外観状態もいいし 動くと思われ
、整備を検討中。
2024年 12月 24日 整備完了カメラキッズホームページにて販売中 XXXXX


2024年 12月 25日  売りきれました、いつもありがとうございます。

 

 

 

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ドイツ製 エルネマン HEAG w/Doppel Anastigmat VILAR 10.5cm6.8

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ドイツ製 エルネマン HEAG w/Doppel Anastigmat VILAR 10.5cm6.8


お客様より、エルネマンのヘイグを ブログにあげてほしい・・・とのメールを頂きグログ掲載と致します、記述はホームページ準じております


さて、今回は100年は前の乾板式ハンドカメラ・・・ERNEMANN:エルネマン のご案内です。


エルネマンと言いますと ICA社と同じく 後にツァイス・イコンを創設時の1社で ツァイスの思想に賛同する物作りをしていたころに、前述のエルネマン社が製造したカメラの1つで、ヘイグは1920~40年ころの製品である・・・・とウェブ上に記されておりました。


100年前の事ですと自分は生まれておらず、諸先哲の方々も今はいませんので、ウェブ記述からのご案内となります・・モデル名は外観写真を参考にして。ウェブ上に同一と思われるのを 当機のモデ名としております、間違いはご容赦。


エルネマンのヘイグですが、カメラ上部横にはボタンがあり(貼革の下に隠れている),これを押すとばねによってベッドが開き 即 撮影態勢となる。ピントグラスを利用すれば,構図やピントをきちんと調整した撮影ができる。


そのピントフードも特徴があり
トヨ、ホースマンやウィスタとは異なりコツと慣れが必要なのですが、金属製の簡単な機械で育ってきた自分ですが、正確な木製加工と革仕上げの
手触りから違う品と質は心に何かを残してくれる気がしますし、煩わしい操作も 今となって思うのですがこの手間の達成感が楽しいのです・・・


きっと当時もカメラを構える方が露出計らしきものをかざして、カメラに乾板を入れて、サァ 撮影です・・写される方は 鍛え上げた満面の笑顔で応えたでしょうねぇ・・・そりゃぁ楽しかったでしょうねぇ うらやましい。

 
画面サイズはおよそ6cm×9cmの大名刺判とよばれるもので,ボディは木製。画面サイズのわりには非常に小型軽量なカメラになっている。ただし実際に撮影するにあたっては,それなりの数の乾板(あるいはフィルムホルダ)が必要になるので,トータルの重量はそれなりのものになりますので、そのつもりで。


シャッターは、ギア式ではないポンプ式エバーセット型のもので,シャッターは T.B.1.2.5.10.25.50.100と低速まで充実している。


レンズはドッペル・アナスチグマットの VILAR 10.5cm6.8 を前述のシャッターにマウントして載せています・・・ドッペルって英語のダブルに近い言葉ですので、アナスチグマットレンズを2枚使ったレンズと言う事になるのだと思っております。

 


また、ゲルツ社はドッペル・アナスチグマット式のレンズを 後に「ダゴール」って命名してますから、この VILAR 10.5cm6.8 もそれなりの レンズだと 思っております。

           Aaaa
さて、100年前ですから 自分はいい状態だとおもっておりますが、それなりと思いましょう、アトムタイプの反射式ビューファインダーの反射部が金属のようでサビにより画像が見えません・・・何とかしたいと加工屋さんに相談すれど思う返事でが得られず、一眼レフ用のミラーをハメ込むことになりました


シャッター機構的には一通りの整備を済ませ年代なりの動作しておりますが、年代的に3ヶ月の保証はご容赦ください。 レンズはクリーニング済み、特に気になるスレ/キズは無いように見えます。

 

正直 100年近く前の機械です、新品並みのハードな扱いは くれぐれも ご容赦願いますが、たまには・・・お時間をつくって、「 ゆるり 」 楽しむのもいいものです。


2024年 12月 6日 カメラキッズホームページにて掲載中

 

 

 

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Kamerawerks・Patent Etsui (カメラワークス・パテントエツィ)キャビネ判

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Kamerawerks・Patent Etsui (カメラワークス・パテントエツィ)キャビネ判

 

毎度おなじみのパテントエツィ・・・何度もブログに揚げているので、自分はこのカメラが本当に好きなのでしょう

違ったモデルや異なるシャッターを載せてるのを見つけると・とりあえず手に入れるようになっているようで、フォーマットの違うキャビネ(カビネ)判もあると知るにつれ まだ若かった自分は 「我こそ得め・・」と探し回ったものです
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内容的には、上写真の右側通りレンズを13.5cmを載せ構造機構などは そのまま 一回り大きくしただけなのですが、ガラス乾板の時代です、印画仕上げは引き伸ばしではなく密着焼き付けの時代ですから、大きな写真のためガラス乾板をまとめると結構かさばりますから スリムでコンパクトが「売り」だったですから、営業的にはどうだったのでしょう? 意外とあるようで 自分の経験ですが 探している時には見つからなかったのですょ。

 

正直、お気にの機械なので、どうしても自分のバイアスが掛かった説明になっていると思っておりますので 今回はウェブ記事から 歴史的な ご案内となります

 

さて 1915年 - ドイツ系ユダヤ人、パウル・グーテ(Paul Guthe )がカメラウェルクシュテーテン・パウル・グーテ・ドレスデン(Kamerawerkstätten Paul Guthe Dresden )を創業したとあります。


1919年 にはドイツ系ユダヤ人、ベノ・トルシュ(Benno Thorch )が経営に参画、カメラウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ有限会社(Kamerawerkstätten Guthe & Thorsch GmbH )となった。

その後1920年 - 「パテント・エツイ(Patent Etui)」を発表し、それまでの簡単な構造のカメラから脱皮し独自性を持つカメラの生産へとシフトしたようです・・・つまり100年の時空を超えてここに存在してるのですょ

 

2024年 11月 30日  只今整備中しばらくお時間をいただきます
2024年 12月  5日    整備完了 カメラキッズホームページにて公開中  XXXXX円
2024年 12月  8日   売り切れました、いつもありがとうございます。
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2024年 12月  6日    整備完了 カメラキッズホームページにて公開中  XXXXX円
2024年 12月  8日   売り切れました、いつもありがとうございます。

  
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Kamerawerks・Patent Etsui (カメラワークス・パテントエツィ)

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Kamerawerks・Patent Etsui (カメラワークス・パテントエツィ)

 

毎度おなじみのパテントエツィ・・・何度もブログに揚げているので、自分はこのカメラが好きなのでしょう

違ったモデルや異なるシャッターを載せてるのを見つけると・とりあえず手に入れるようになっているようで
この度もいつものコレクターM氏 とサンマルシェでとりとめの無い健康噺に花が咲き時間を忘れる・・


落ち着いたところで「これなぁ・・」と見せて頂いたのが 上写真のダイヤルシャッター式のエツイで、思わず見惚れてしまった。 それほど見事な状態で残っており、とても100年前とは思えない

 

いつもは、自分のバイアスが掛かった説明になっていると思っておりますので 今回はウェブ記事から 歴史的な ご案内となります

 

さて 1915年 - ドイツ系ユダヤ人、パウル・グーテ(Paul Guthe )がカメラウェルクシュテーテン・パウル・グーテ・ドレスデン(Kamerawerkstätten Paul Guthe Dresden )を創業したとあります。


1919年 にはドイツ系ユダヤ人、ベノ・トルシュ(Benno Thorch )が経営に参画、カメラウェルクシュテーテン・グーテ&トルシュ有限会社(Kamerawerkstätten Guthe & Thorsch GmbH )となった。

その後1920年 - 「パテント・エツイ(Patent Etui)」を発表し、それまでの簡単な構造のカメラから脱皮し独自性を持つカメラの生産へとシフトしたようです・・・つまり100年の時空を超えてここに存在してるのですょ


自分が見惚れるほどですから ホント キレイな状態で、何とか手に入れようとしたのですが「はい」と言わないので、とりあえず預からしてょ で、今手元においてブログを書いているところです❤

 

どうなりますか・・・

 

資料によるとスペック的には パテント・エツィ(Patent Etsui 、1920年発売) - 6.5x9cm(大名刺)判。ロールフィルムホルダーを併用すれば120フィルムも使用でき、9×12cm(大手札)判もあった

我が国では1930年頃栗林写真機械製作所がコピー品であるファースト・エツィを生産している。


2024年 12月30日 念の為整備をしております。

2024年 12月30日  あっと言う間・・・ホームページ更新中に売り切れました。

 

       

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